北の国へ・・・5 「どう生きるのか」
1996年 夏、
東京・新宿の、紀伊國屋ホール。
説明会に集まった、多数の参加者をぐるりと見渡して、
「森林たくみ塾」の理事長は、こう口火を切った。
皆さんはこれまで、自分の人生について、
徹底的に、真剣に考えてみたことはありますか?
自分がこれからどう生きていくのか、
本当に突き詰めて考えたことは・・・
おそらく皆さん、無いでしょう?
・・会場は沈黙。
が、しかし、
僕はひとり、胸の中で密かに思っていた。
「いや、俺はけっこう考えたよ・・」
── そう、僕はけっこう考えた。
だからこそ、この会場にいるのだ。
飛騨の清見村で、
建築・家具・クラフトを手がける、オーク・ヴィレッジ。
そのオーク・ヴィレッジが運営する、家具職人の養成機関が、
「森林たくみ塾」であった。
その日、紀伊國屋ホールで開かれた説明会には、
たくみ塾の活動に関心のある人や、家具職人を志す人たちが、
自分も含めて、多数参加していたのである・・。
冒頭の口上の後、理事長は続けた。
今日は、我々のお話しを聞いてもらい、
「木の仕事で生きていく」ということが、
いったいどういうことなのか、
みなさんに真剣に考えて欲しいと思います・・。
そのような挨拶の後、説明会は始まった。
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なぜ僕は「木工」を志すことになったのか。
・・これまでの人生、
僕の木工についての知識は、ゼロに等しかった。
家具職人になりたいなど、考えたこともなかったし、
木の種類も、名前も知らない。
クラフト作品やインテリアにも、特に興味がない。
知識も、関心も、憧れもなかった。
だからまさか、こんなことになるなんて、
誰よりも、僕自身が全く予想していなかった。
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2年前、結婚を機に北海道へ移り住みたいと、
転職を考えた自分だったが、
何を目指したらいいのか、よくわからなくなってしまい、
そのまま暗礁に乗り上げていた。
・・が、時間が経つと同時に、思考はゆっくりと巡り、
やがて僕(と奥さん)は、少しずつ、また動き始めていた。
僕らは、田舎暮らしの情報誌をながめたり、
これからの生き方のことなどを、折に触れて二人で話し合った。
・・そう、田舎暮らし。
札幌など、都市部での再就職は、厳しそうな実感は確かにあった。
でも、それとは別に、
自分は本当は、田舎暮らしがしたいんじゃないか?
・・という思いに、行き当たりつつあった。
自分の中の何かを動かしたのだ。
その後、自分も富良野塾を目指し、
そして夢破れた。
けれど、自分に本当に合っているのは、
たぶん役者になることではなかった・・。
下川町の森林組合に、手紙を書いてみた。
置戸町に行き、木工クラフトの研修施設も見学させてもらった。
僕は、あちこちにぶつかりながら、探し続けた。
そして、
1995年の10月に角川書店から発売された一冊の本が、
自分の場所を、
新しい一歩をどこに向かって踏み出すかを、決めた。
北海道ではなく、それは、岐阜県の飛騨高山市であった。
ただでさえ影響されやすい自分なのに・・・。
飛騨の清見村にある、オーク・ヴィレッジ。
その代表である、稲本正さんのこの著書によって、
僕の人生観は変わってしまった。
これまでと、世界が違って見えるほど、
大きな影響を僕は受けた・・。
何と、表紙が無垢のナラ材で出来ている・・という、
それだけでも相当なインパクトのある本であった。
素直な僕は、稲本正さんの考えに、言葉に、
頭からつま先まで、まんまと感化された・・。
田舎に暮らし、「木の仕事」をして生きよう。
これまでにないほどに固く、僕は決心していた。
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こうして僕は、本が発売された翌年の夏、
「森林たくみ塾」の説明会に参加すべく、
新宿の紀伊國屋ホールに出かけたのだった・・。
(つづく)