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yunosatodays

北海道ニセコ山麓、廃校の木工房。湯ノ里デスクの田代がお届けする、モノ作り&山暮らし通信です。

北の国へ・・・1

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1989年(平成元年)1月、

東京 下北沢・本多劇場、

舞台「谷は眠っていた」公演終了後の混み合うロビーの片隅で、

初めて倉本聰さんを見た。

 

壁を背に立ち、かるく腕組みをするような格好で、

上気した人々の様子をじっと観察しながら、

タバコをくゆらしていた。

 

倉本聰さん率いる劇団「富良野塾」の、初の東京公演。

 

おそらく、ほとんどの観客がそうであったろう、

僕もまた、その舞台のパワーに激しく圧倒された。

 

終演後、半ば呆然としつつ、

人々に押し流されるようにロビーに出ると、

その片隅に倉本さんの姿があった。

 

ギロリとした大きな目で、凄みのある存在感。

ちょっと恐かったけれど・・・

僕は、何か伝えずにはいられない衝動で、

緊張気味に倉本さんの前に立ち、

すごくよかったです、と言って手を差し出した。

 

倉本さんは、射抜くような、真直ぐなまなざしで僕の目を見て、

「ありがとう!」と強く握り返してくれた。

その手は大きく肉厚で、ゴツゴツとしていた。

 

がっしりとした握力を感じた瞬間、

自分がとてもヤワに思え、

同時に、胸の中で何かがグラリと揺れた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そもそも、この舞台を観るきっかけになったのは、

出版社の営業の方から、すごく熱心に勧められたから。

 

その頃、僕は二十歳で、東京で書店員として働いていた。

ある日、営業でうちの店にまわってきた理論社の女性の方から、

倉本さんの新刊案内と合わせて、富良野塾 東京公演をぜひ見て欲しい

・・と、強く勧められたのだ。

 

当時の僕は、

倉本聰さんについての知識はほとんど無かったのだけれど、

親しい営業さんだし、とても信頼できる方だったので、

その新刊「谷は眠っていた」と、同名の富良野塾公演のチケットを

買うことにした。

 

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1988年の12月に発売されたこの本を読んで、

僕はその内容に圧倒され、

翌1月の舞台でさらに決定的に圧倒されることになる・・。

 

倉本聰さんのこともよく知らず、

ドラマ「北の国から」もほとんど見たことがなかったこの自分が、

果たしてどれほどの衝撃を受けたのか・・・

 

冒頭のチケットを20数年経った今でも保管しているのだから、

それはかなりのものだったはず。

 

けれども、その公演の数年後に、

よもや自分が富良野塾を受験する事になるとは・・、

まだあの時は考えてもみなかった。

 

 

 

すばらしき世界

 僕は本が大好きなのだけれど、

決してたくさんの本を読む「読書家」というわけではない。

 

話題の本を次々と読破することもないし、

文学作品を数多く読んできたわけでもない。

 

ただ、「本」というものの存在を、とても愛しているのだ。

 

だから、僕がデザインする湯ノ里デスクの品々には、

本と結びついたものがいくつもある。

 

 

「本」の存在が好きだ、と感じるようになったのは、

やはり書店で働いていたことが影響していると思う。

 

手に取った本の重さや手触り、

装丁の美しさ、

頁を開いた時の匂い・・。

 

それからいつしか僕は、「本」そのものだけでなく、

本を読む人、本屋で働く人、

大小さまざまな本屋、古書店、図書館、出版界・・と、

書物をとりまくあらゆる世界のことが好きだ、と感じるようになってしまった。

 

・・そんなわけで、

僕の書棚には、「本」にまつわるいろいろな本が並んでいる。

その一部をご紹介するのだけれど・・・

 

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 この写真の他にも、まだいろいろとあるのだが・・・

 

うちの奥さんは、これらを見て、

「あなた、(そんなに好きなら)何で本屋を辞めたのさ?」

「あなた、何屋さんになるつもりなの??」

・・と、問うてくる。

 

確かに、今にも自分で本屋を開店するつもりなのか??

という迷惑な意気込みが、これら多数の所持本から感じられないでも無い・・。

 

 

以前、

たまたま見ていたNHKの 朝のドラマ(おひさま)の中で、

主人公の女性教師が教え子たちにむかって、

「本をたくさん読む人は、友だちがいっぱいいるのと同じ」

・・と語っていた。

本の中には、それを書いた人の気持ちがいっぱいつまっているから。

一冊の本を読むことは、友だちが一人出来るのと同じことだと・・。

とても素敵な言葉だったので、強く印象に残っている。

 

僕はそれほどたくさんの本を読むわけではないけれど、

こんなにも大好きな世界が自分にあることを、とても幸せに思う。

 

そして、その大好きな世界が、僕にとっての「湯ノ里デスク」という仕事の出発点になっている。

 

ここで出会うなんて

今朝の北海道新聞の広告欄に、ふたたび掲載されていた!! 

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↑上の写真は、 昨年末に掲載されたもの。

胸がドキドキと高鳴った僕は、切り抜いて大事に取っておいたのだ。

北海道新聞の、2012年12月28日付けの朝刊。

 

いつかブログに書こうかな〜と思っていて、

ちょうど写真など準備し始めていたら・・なんと今朝ふたたび!

この同じ広告に出会ってしまった。

  

 

・・ところで、

僕が感動したのは、「文庫大賞第1位」の部分ではない。

その上の、啓文堂書店の文字にである!

 

 おそらく今朝、

その書店名にこれほど胸を揺さぶられたのは、広い北海道でも、僕ただ一人であったろう・・。

 

たぶん、

北海道民のほとんどがスルーしたはず。

 

紀伊國屋書店や、三省堂書店、丸善・ジュンク堂や、コーチャンフォーは知っていても、啓文堂書店は誰も知らないだろうし・・。

 

 

でも僕にとっては・・特別な意味を持つ。

何故ならそこは──、

以前東京で、自分が働いていた書店だから・・。

 

高校を卒業後、

18歳で就職してから29歳で退職するまで、

11年間務めた、思い出いっぱいの書店だから。

 

 

かつて、海賊王ゴールド・ロジャーは、大秘宝を指して、

「この世の全てをそこに置いてきた」(ワンピース/尾田栄一郎著)と言い放ったが、

実のところ僕も言いたい。

「青春の全てをそこに置いてきた」・・と!

 

・・もっと正確には、

「青春の全てをそこに置いてきたが、

湯ノ里デスクの仕事に必要なものをたくさんもらってきた」

 ・・というのが正直な気持ちである。

 

 

啓文堂書店で出会えた人たちと、そこでのあらゆる経験が、

今も、いつも僕を支えてくれる。

あの11年間は、僕の宝だ。

 

 

・・それにしても、

北海道新聞で「啓文堂書店」の文字を目にするとは、よもや思わなかった。

こんなところで出会うなんて、大変な驚きだ!

そして、とてもうれしい!!

 

 

東京の私鉄、京王線・井の頭線の沿線に店舗展開する書店なので、ほとんどの地方の方はご存知のはずがない。

 

まさか自分の他に、新聞のそんなところに目を留めていた人はいないと思うけど・・

もしかして、同じ北海道にいらっしゃいますか?

かつて啓文堂で働いたことがあるよ〜という方が?

いや実は私、全国の書店の中で啓文堂が一番好き〜という方が??

 

もしもいらっしゃいましたら、ぜひご一報を。

北海道 啓文堂人会を設立したいと思います・・。

 

四様

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実は私は以前、「ヨン様に似ている」と言われたことがある。

 

・・おそらく、どなたも異論は無いと思うが、

うっかり聞き逃した方のために、もう一度言おう。

 

私はあの、韓国の超・人気俳優のヨン様に似ている、と言われたことがあるのだ。

 

それも、一度や二度どころの話しではない。

三度だ。

 

一度目は、湯ノ里デスクをTV取材に来た、女性のリポーターから言われた。

 

二度目はここ、蘭越町のとある議員さんに言われた。

何かの飲み会の席で、彼はご丁寧にカツラまで用意していて、私はそれを被らされ、皆の前で「ほら、似てるでしょ!?」と紹介されることになった。

 

ある時に、そんな話を実家の母親にしたら、

「ああ、そう言えば、髪の毛をもっと艶やかにフサフサにして、肌をもっとしっとり、キメをこまかくして、口元をもっと上品にして、唇の血色をよくして、歯をきれいな白色にしたら、笑った時の目の隙間なんか似ているかもしれない」

と言われたのだ。

・・これで三度目である。

 それも、実の母親が言うのだから、これはもう間違いないであろう。

 

そこで今回ブログにアップするために、自分のアルバムの中のヨン様を血まなこになって探したのだが・・、

奇怪なことに、ヨン様は一枚も見つからなかった。

鏡でよく見かける男しか写っていなかった。

 

何故か?

三度しか言われなくて、四(ヨン)に一つ足りなかったか。

謎である。

 

まあ確かに、そんな話があったのも、もう10年ほど昔のこと。

あの頃はもう少し髪の量も多かったし、肌の色つやも多少よかったし、腹も出ていなかったし、腰痛も、痔も患っていなかったし、養命酒を愛飲してもいなかった・・。

 

では何故そんな古い話を持ち出したのかと言うと、 

実はここ最近、韓国のメディアの方からメールで取材を受けていて・・

韓国と言えば・・おおっ、そうだ、

私にも縁のあるお国ではないか・・と、強引に結びつけた次第なのである。

 

韓国の方々はよく、湯ノ里デスクのfacebookにも「いいね!」と言ってくれる。

それがとてもありがたくて・・

こんな機会で何ですが・・お礼を言います。

韓国のみなさん、いつも応援ありがとう!!

 

ケイタイについて

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前回、まさかの駄洒落タイトルで新年のブログをスタートさせ、寒さで世間を縮み上がらせたかもしれません・・・。

こういうことはたぶん・・またそのうちにあると思います。

ごめんなさいね。

 

さて。

ちょうど現在、コモノユレ(ゆれる小物入れ)を追加制作開始したので、写真を撮ってみました。

 

自分の携帯電話を置いてみましたが・・、ご覧のように僕の携帯はスマホではありません。

できるだけシンプルな携帯電話が良くて、これを使ってますが・・

スマートフォンよりも、こっちの方がスマートなんじゃないスか?

ちがう??

 

とは言え、ほんとは僕もiphoneが欲しい。

ただ、ケイタイの使用頻度が限りなくゼロに近いので、手を出せないのです・・。

 

自宅と工房(校舎)は至近距離だし、それぞれに固定電話はあるし。

通常は自宅か工房かどちらかにいるので、固定電話を使います。

ネットも無線LANで常時接続しているので、仕事場でも自宅でもPCです。

 

ケイタイでの通話は週に1度か2度、仕事関係者からかかってくる程度で。

家族も持っていないし、携帯メールもほぼ皆無。

Facebookやブログの更新、仕事のメールも、プライベートなメールのやり取りも、全てパソコンを使っています。

 

iphoneは魅力的だ!

しかし、使う機会があまりに無さすぎる・・!

使用頻度が低すぎるのに、基本料金が高すぎる!!

 

・・てなわけで、スケジュールなどはやはり手帳が必要になるのですね。

あけましておめてちょう(手帳)・・!

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愛用して6年目。

安野光雅さんの絵が素敵な、「文庫手帳」を新調しました。

 

まあ、この手帳に辿り着くまで、随分とハデな手帳遍歴を重ねましたよ・・。

能率手帳や高橋の手帳はもちろん、システム手帳だけでも数種類。

とっかえひっかえ。

 

買って最初の2〜3ヶ月、がんばって書き込んで、

そのあとパタッと途切れてしまうのね。

 

どうも使いづらいんだよなあ。

サイズがいけないのかなあ?

表紙の革の感じがいけないのかなあ?

いったい何が悪いんだろう??

 

・・って、俺が悪いんですよ。

ずぼらで飽きっぽくて、何をやっても三日坊主の。

生来めんどうくさがりの、この自分が悪いのです・・。

 

とにかく、続かない。

書き付けない。

だから、大事な用事もうっかり忘れる。

しょっちゅう忘れる。

つい先日も、NHKで放送された「Perfume 海外ツアー ドキュメンタリー」、録画するのをすっかり忘れてた!

可愛いね、Perfume

・・ま、それはいいや。

そんなわけで、

こんなめんどくさがりの自分は、手帳を持つなんざ間違いかも・・

と、投げやりになってしまった時期もあるのです。

 

だから、どんなに気がそそられても、「ほぼ日手帳」には手を出さなかった。

いや、怖くて手を出せなかった・・。

必ず終わる日が来ることを、わかっていたから。

 

・・と、まあ、こんなわたくしですが、

ある日手に取った「文庫手帳」に、ビビッと来たのですね。

 

薄い!

安い!(当時、2008年版が¥580だった)

 

何より、手に取った軽さが素晴らしい!!

 

ちゃんとマメに書けてなくても、何となく許されるような気がするのは何故なのか。

極めてシンプルな作りゆえか。

愛すべき文庫のサイズ感ゆえなのか。

安野光雅さんの素敵な絵に癒されるからか・・。

 

相変わらず、やたら書いたり、まったく放ったらかしたり、ムラのある僕ですが・・

好きです、文庫手帳。 

 

 

さてさて。

2013年が始まりました。

今年もどうかご一緒に、

遠く離れていても、どこかで確かに繋がっている、

日々を過ごして参りましょう。

どうかよろしくお願いいたします!

 

 

 

Kenさんの思い出

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 もう10年ほど前。

僕が東川町(大雪山の麓)の家具メーカーで働いていた頃のお話。

 

入社したばかりの僕は、初めて職場でその人を見た時、

「ああ、なんだか、武田鉄矢にそっくりな人がいるなあ・・」

と素直に思った。

実に、「金八先生」の頃の鉄矢氏の姿に生き写しだったのである。

年齢的には確か、僕より一回りくらい年上だったと思う・・。

それが先輩職人のkenさんとの出会いだった。

 

新米の職人として働き始めた僕は、昼休みに一緒に弁当を食べながらkenさんとよく話しをし、次第に仲良くなっていった。

 

やがて、彼が音楽好きで、自分でもギターを弾いて歌うこと。オリジナル曲もたくさんあること。会社主催のパーティー(飲み会)の時などはそのオリジナル曲を弾き語りすることなども知った・・。

 

僕もギターを弾くんですよ・・という話しをすると、kenさんの目がキラリと光った。

「おい、一緒にバンドやろうぜ!」と、まるで高校生のように鉄矢・・いや、kenさんは言ったのだった。

 

そして僕らは強引に職場の他の仲間も誘い、ついに『職人バンド』を結成した!

 

kenさんのオリジナル曲はというと、飲んだくれブルースを、ギターをかき鳴らして歌う(声でかい!)・・というスタイル中心のものだった。

バンドで演奏するのが夢だったkenさん。

『職人バンド』と名前はすごいが、実は半分は初心者の、愉快なバンド活動が始った。

 

ある練習日の晩、kenさんから年末の社内クリスマスパーティーでの演奏に向けて用意して来た譜面のコピーを渡された。

ひじょーに難易度の高そうな譜面。

難易度の高いギターコード。

それは、山下達郎の「ゲット・バック・イン・ラブ」であった。

 

飲んだくれ系(がなり声)ブルースマンのkenさんが、実は最も敬愛しているミュージシャン。

それが山下達郎氏だったのだ。

 

ヤマタツは「音の職人」と呼ばれているんだ!

・・難解な譜面を前にボー然としている我々を見回し、kenさんはうれしそうにそう言って笑った。

 

そして、僕が「金八先生」だと思っていたそのヘアスタイル・・!

ああ、何ということか。

それこそが山下達郎を意識したスタイルであったのだ・・!!

 

クリスマスパーティーの夜、僕たちは「ゲット・バック・イン・ラブ」を、かなりヘロヘロではあったが、演奏した。

普段はギターをかき鳴らし、飲んだくれブルースをがなるkenさんは、この曲の時だけギターを置き、ただ歌うことに集中した。

ヤマタツをバンド演奏して歌うのは、ずっと彼の夢だったから・・。

 

あれから、早や10年以上が経つ。

 

・・kenさん、お元気ですか?

「ゲット・バック・イン・ラブ」がどうしても聴きたくて、僕はこの『opus』を買いました。

素晴らしいアルバムですね!

「音の職人だ」と言ったkenさんの言葉を噛みしめながら聴いています。

どの曲も聴くほどに素晴らしく、胸が震えます。

自分もいい仕事をしなくちゃと、とても励みになります。

大雪山の麓の町でkenさん、このアルバムを聴きまくっているでしょうね!

僕もニセコ山麓の廃校の工房で、毎日聴いていますよ・・・。

 

 ところで、kenさんつながり・・というわけでもないのだけれど、

NHKの番組で健さん(高倉健)が、山下達郎の「希望という名の光」を愛聴していることを知った。

なんだか、すごくうれしかった・・。